佐比内・朴木金山【補足編】
謎だらけで引き返した朴木金山。補足編であきらかに。
頂上付近で見た、事務所跡と思われる謎の建物。中に入れば何か手がかりがあったかもしれないが、崩壊の恐れがあり、入ることができなかった。では、いったい、あの建物は、誰が建て、いつごろ建てられたのだろうか?
『株式会社 朴鉱山』とは?図書館で調べた結果、以下の通りとなる。
1622年 山師・丹波弥十郎が大判6万5千枚で落札し、採掘開始
わずか30年あまりで終わりを迎える。
明治中期 開発が再開
昭和13年 鉱区は森 峰一の所有となる。
昭和18年 金山整備により、鉱区は帝国鉱業開発(株)
戦後 陸奥鉱業(株)に譲渡。のちに岡部工業所と商号を変更。
51年7月、(有)イ昭産業(のちに(有)大佐内鉱山と商号変更)に譲渡。
55年5月、(株)朴鉱山に譲渡。
57年12月に三菱金属鉱業(株)に譲渡。同社は早池峰鉱山と改名。
61年8月、村松武雄に譲渡。
63年10月、沢口昭蔵が入手。
平成元年12月に休山、間もなく廃山。
【参考資料:新岩手県鉱山誌】
ざっと、以上だ。
【株式会社 朴鉱山】は55年に取得している。つまり、あの建物は昭和55年以降の建物となる。となれば、30年ほどは経過していると言う事だ。よくもまあ、残っていたものだ。雪に押しつぶされ、壊れずにね。
と、建物の謎は解決したのだが、気になることが新たに分かった。詳しく載っていた新岩手県鉱山誌によれば、数箇所の坑口があるということだ。これだけ、多くの人に譲渡されながら、開発したのだから、坑口が1箇所なんてことは無い。
ただ、現存しているかは不明である。うーむ、興味が湧いてきたねー
ざっと、位置関係はこのようになる。朴鉱山事務所のすぐそばの坑口は朴抗にはるのか?また、近くには中切抗があるようだ。洞ヶ沢にも幾つもの抗口があるようだ。やはり、これで終わらせるにはもったいない、行くしかない!
次回までしばし、お待ちを!補足編、おわり。
