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佐比内・朴木金山(隠れ切支丹)を探す part 1

2013年5月9日

県内には幾つか金山跡がある。そのうち盛岡近郊では、大ヶ生金山跡と佐比内金山跡。特に佐比内地区には南部藩最大の金山、朴木(ほおのき)金山があった。他にも佐比内地区には、僧ヶ沢(そうがさわ)金山、銅ヶ沢(どうがさわ)金山など9箇所ほどの金山があったようだ。そして、佐比内には秘密がある!『切支丹』。これを訳すると、切支丹=キリシタンである。

大判6500枚(6万5千両)の巨額で採掘権を落札した山師、丹波弥十郎。南部藩の米穀収入の2.6倍の巨額の為、世間を驚かせたそうな。丹波弥十郎は京都生まれの佐渡金山の開発にも関係したキリシタン。

当時、江戸幕府はキリスト教禁止令を出し、強硬な弾圧を行なっていた。丹波弥十郎が引き連れてきた労働者には多くの切支丹(キリシタン)が含まれていたが、1度鉱山に入ると親殺し、主殺し以外が刑事訴追を拒否することが出来たのだ。地下でマリアを奉って祈り、捜査情報が入るとマリアを地蔵の頭と差し替えたようだ。その証拠に金山からは切支丹の石碑や墓石などが見つかっており、もともと佐比内地区にあった来迎寺(日詰)には、今もマリア観音が安置されている。

最盛期には山師大工が13000人、戸数2120軒。角力(すもう)や歌舞伎興行などが盛んで、遊女も550人来山したと言われている。南部藩最大の金山と言われたが、わずか30年あまりで終わりを迎えた。

参考HP さひないどっとこむ http://sahinai.web.fc2.com/CCP.html 紫波観光案内 http://www.48kanko.jp/nature.php?id=181&s=12

と、長々書いてきたが、今現在どうなっているか?って事だ。金山に切支丹(キリシタン)。プンプン臭ってくるぜ~

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