大ヶ生金山 vol,2
盛岡市にある、大ヶ生金山。
先日の調査のつづき。ここでちょっと大ヶ生金山の説明を。
大萱生金山は大萱生氏(河村氏の一族)が大萱生館に居城を構えていた頃から採鉱が行なわれていたと言われている。 川村秀清は文治5年(1189)に源頼朝の奥州攻めにしたがい、軍功をたて所領を与えられた。その川村氏の一族が大萱生。なお、大萱生館の創建時期は不明。明治36年、秋田の細川寅吉氏が黄金吹山(元山)分け入り、鉱業を探し当てた。明治39年、黒沢尻の郡司半助氏が大萱生金山なで操業を始め以来、鉱業主は竹田氏、村上氏に移り代わっている。大正5年に住友合資会社が鉱業主となる。元山~矢巾駅まで鉄索を架空し小坂、日立鉱山へ売抗された。萬寿抗は大正8年から掘進が始められ、坑道は上大萱生元山の大生抗に連結されている。昭和9年には元山~萬寿抗~製錬所~矢巾駅を索道でつなぎ、新設の製錬所で精化製錬・浮遊選鉱等新技術を導入するなど順風満帆の経営振りであったが、昭和18年、大東亜戦争による『金整備令』によって多くの残抗を残したまま閉抗。現在に至る。
金が無くなって閉抗したのではない。金整備令によって閉抗したのだ。つまり、まだ金はある!
どれほど残っているのか分からないが、なんだかワクワクする!萬寿抗の裏手には元山抗がある。前回右折した理容店を右折せず、直進。しばらく走ると右手に公園があり、ざっくりとした案内図がある。
拡大図はこちら。ここの案内図がある公園を右折。道なりに行くと、左手に妻ノ神の杉が立っている。
ここを右折しても行ける。 が、数十年前は行けなかった。これ以降、元山抗の案内板が無いのだ。真っ直ぐ走っていると林道に入ってしまう。どこかで右折して田んぼ道に入ればよかったのだ。妻ノ神の杉まで行かないとこから入ることが出来るのを見つけた。
木が茂り、よく分からないと思うがゴミ置き場らしき横に案内板が隠れている。
ここを右折し、田んぼの中の砂利道をトコトコと走る。右手に見える山々は金山なのか?案内には無いが抗口あるんだろうなぁ~でも、田んぼの中なのでここは私道だろう。まぁ、注意されたら、ニカっと笑って『元山抗を探しに来ました~』って言えばいっか。
ゆるい登りに変わり、杉林の中を進む。この先にあるのだろうか?元山抗!民家もあるので静かに走る。っと、開けた場所に着き、大生抗入口の立て看板。
元山抗ではなく大生抗。どっちが正しい?駐車場と立て札があるのでこの近くにあるっぽい。ドキドキしてきた!
やたらと白い石が落ちている。金が混じっていないか、よーーーく見てみるが、見つからず。当たり前か。なんとなく元山抗?大生抗?が近くにある感じがするが、ここにバイクを止め、歩いて奥へ行こうと思ったが、なにぶん山奥。クマがでそうな気配・・・・だな。バイクで行けるとこまで行こうって事で、トコトコ進む。辺りを注意深く探りながら進む。違った意味でドキドキ。
おぉ!?あれは!!
近づくとポッカリ穴が開いていて、『大生抗』とあるじゃないか!
中からチョロチョロと水が流れている。地面がグチョグチョして靴が汚れる。そぉーーっと中をのぞくと、塞がっていた。開いていたとしても、オレには入る勇気ない。なんせ、ビビリなもんで。「元山抗、大生抗」どっちが正しいのか分からないが、大生抗と書いてあるので大生抗で間違いない。って事は、途中までの立て札には元山抗って書いてあったから、近くに元山抗があるのか?
残念ながら、発見できなかった。ここで一攫千金を夢み、幾人もが汗流しながら掘っていたのだ!あたりを見渡し、想像してみる。なんだか凄い事だ!豊富な資金力があったのか、ここからケーブルカーで矢巾駅までつながっていたと言うことも驚きだ!
昭和18年、金整備令により閉山され、現在に至る。枯れたワケではない。まだ、掘ればあるのだ。もし、今まで掘り続けていたら、ここいらは黄金都市だったんだろうなー色んな事を想像するとワクワクする。ロマンだねぇ~ロマン!しばらく余韻に浸ろうかなんて思っていたが、クマが出たらシャレにならんので、とっとと退散。
ところで、何でこの周辺に金が採れるってわかったんだろうね?
