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櫻川を辿る【考察編】

2013.11.11

図書館で面白いものを見つけた。昭和46年の住宅地図である。それを見てみると、当時のあさ開周辺の川の流れが分かる。

桜川

松尾大明神からあさ開きに流れてきた櫻川は、あさ開の敷地内を通り、2つに分かれていることが記載されている!また、大慈寺小学校からも流れていることも分かる。そして、河南中学校付近で合流。

気になることとして、黄色の矢印のグニャグニャも川なのか?と言う事。

桜川

次のページを見ると、なんと川は2つに分かれている。黄色の矢印は、河南中学校真下の道路だ。まさかなぁーってぐらいの予想だったので、意外だ。

現在の地図に描いてみると、こうなる。

桜川

だいたい、歩いた道どおりのルートとなる。ちなみに、神子田朝市の脇をとおり、自動車修理工場の裏側を流れ、国道からの入り口の下を流れるルートは、写真に収めてはいないが、確かにそれっぽい形跡はあった。

浅岸付近を見てみると、桜川のスタートポイントらしき場所が見える。

桜川

青の矢印を指す場所が櫻川のスタートなのか?

もうひとつ本を見つけた、【もりおか思い出散歩】という本だ。その中で櫻川に関してこんな記述がある。『現在の浅岸橋と水道橋の中間にバテ(留め)を作って、小ダムのように中津川の流れをある程度溜め、水門から水を引いた』

となると、緑矢印がスタートとなるようにも思えるが、昭和46年の住宅地図では、そこではないようだ。

ともあれ、加賀野、浅岸地区は大規模に造成が行なわれたので、跡がよく分からない。とても残念だ。

最後に、櫻川が流れていた確かな証拠を現在と比較。

桜川 考察編-完-