magazine

紫波町女牛鉱山跡を探す

2014.4.15

2013年6月、朴沢金山のことを調べていたら、紫波町の船久保地区に『女牛(めうし)鉱山』なる場所が存在したという事が分かった。場所が定かではないが、『折壁峠の紫波側付近。露天採掘、立抗跡が残っているようだが、付近はかなり荒れている』という情報を便りに早速、調査に向かった。

なんとなくここではなかろうか?という場所に行って見るも見つからず。峠の途中の林道に入るも、草木が生い茂り進めず。結局、この日は不発に終わった。

半年振りに再チャレンジの女牛鉱山。

今回、約半年ぶりの再チャレンジ。もう一度、整理してみると、『杉町部落よりクルミ沢を遡ると、露天堀跡、立抗跡がある。ただし、著しく荒廃している。』という事。問題はクルミ沢が地図上には記載がなく場所が特定できない。前回、タダで帰ってきたわけではない。ここではなかろうか?という場所を見つけていた。まず、そこを攻めて見よう。

女牛鉱山の発見は古く16世紀後半には開発が開始され、明治、大正時代も断続的に開発されてきた。
昭和7年、長谷川広蔵が入手、9年から本格的に採鉱を行い、金山整備が実施された18年まで、金を採掘してきた。転々と鉱業主は変わり、最後は、松尾鉱業が入手し、タングステンを対象に稼行。31年まで継続したが、鉱況劣化、経費増大により放棄。現在に至る。

畑の脇を通り、林の中に入る。林の中は、人ひとり歩けるほど幅。かろうじて3月という時期なので、枯葉のみ。モンキーでも進める。それほど進んでいないが、どこにあるのか分からないので止まってあたりを確認すると、!?

カモシカがこっちを見ている。静かな森の中で、騒がしくして申し訳ない。そう思い進む。

すると、ロープで仕切られた場所に着く。

女牛鉱山

なんだ!?よく見ると結構な深さの窪みだ。

女牛鉱山

2mぐらいの深さはあるだろうか?知らずに進んだらひとたまりもない。
この穴はもしや鉱山跡?掘ったあとではなかろうか?

女牛鉱山

辺りを調べると、建物の土台と思われる構造物を発見!

女牛鉱山

カモシカなんぞにバイクを倒されないかと心配だが、モンキーではこれ以上進めないので置いて歩く。さらに窪地を発見!ここも掘った跡か?

女牛鉱山

ここは雨で削れたのか?それにしても、いくつもこのような所が点在する。

女牛鉱山

開けた場所に着く。なぜか奥の方に、バスタブが転がっている。なぜ?こんな場所に??
バスタブはともかく、ここら辺が女牛鉱山で間違いないと思われる。まだ、時間はあるので一旦戻り、別な場所を調査してみよう。

女牛鉱山

前回、途中で引き返した林道に行って見る。

女牛鉱山

さっきの場所の反対側となる。もしかしてこっちからのアプローチもあるんではないかと調べたが、残念ながらなかった。

女牛鉱山

それにしてもこの辺は、現在でも採掘場が点在する。まちがって金とかでないのかな? 露天掘りのそこに緑色の水溜りが見える。水溜りというか、池になっている。なんであんな色なのかな?土の成分が溶け出して緑色になっているのだろうか?ここはさすがに降りて見には行けない。それにしても深いなぁーー

終わり