旧明治橋(新山舟橋)の痕跡を探す
仙台方面から来ると盛岡城下の入口に位置する場所、明治橋。現在の明治橋は昭和7(1932)年に出来上がり、その前の明治橋は現在とは異なる場所に掛けられていた。旧明治橋は明治7年(1874)に作られた木製の橋だった。じゃあ、その前は?
旧明治橋前は、延宝8年(1680)頃にこの場所に舟橋が架設。舟橋は両岸に巨大な親柱と中島の大黒柱を立て、20隻ほどの小舟を鉄鎖で係留し、その上に長さ2間半から3間ほどの鉄板を並べて人馬が往来できるようにしたようだ。この場所は、雫石川、中津川、簗川と3つの川が合流し川幅が広くなる場所であり、洪水対策として増水時には鉄板を撤収し、舟を両岸に引き揚げて避難したそうな。
ちなみに、2013/8/9の豪雨の時はそれぞれの川の色が異なり、3色ラインになっていた。
仙北側は新山(しんざん)河岸と呼ばれる場所であり、北上川舟航の起点であった。初めは舟渡しであったが、人の往来、物流の流れが増加するとともに土橋を架けた。しかし、度々、洪水によって流され、【舟橋】に切り替わったようだ。
わかりづらいが、写真の加工した場所に舟橋が架かっていたのか?
明治橋の南側、表通りよりちょっと入ったところに『高屋稲荷神社』がある。
安全を祈願し、仙北町と川原町を結ぶ北上川の新山舟橋の道筋に勧請された神社のようだ。
ここから明治橋方向へ歩く。
細い路地がなんとも言えない、良い感じだ。ここを抜けると川に出る。
ちょうど真正面の位置に舟橋がかかっていたと思われる。つまり、細い路地は旧道跡。
冬場とあって川の数量が少ない。これは行ける!降りれるぞ!
中州に下りる。正面にまっすぐ橋があったと思われるが、形跡は見当たらない。
北大橋方向。
明治橋方向。気持ちが良い。でも、明治橋から見た人はオレのこと見て『?』だろうな。
明治橋方向へ進むと、大きな石がゴロゴロと転がっている。
中には人工的に削られた石もある。土台の残骸か?
比較的小さい石の中に、正方形になった石が混じっている。
橋の上からでも確認できる、ドデカイ石がある。やっぱり旧明治橋の残骸だろうか?
人工的な石々。
中州から上がり、北側へ来た。それらしい形跡はやっぱり見当たらない。
近くに明治橋碑が建っている。ここに舟橋があったことを記している。
説明板に載っていた当時の絵。
普段、何気なく渡っている明治橋にも歴史がある。ここに橋が出来たことで物流が盛んになったのだから、とても重要な場所なのだろう。違う場所に橋が架かったのならば、今とはぜんぜん違った盛岡市になっていたと思うと、感慨深い。