赤川(盛岡市) ~失われた川第3弾~
調査日:2014.5.15
このシーリズも第3弾目のとなりました。今回の調査した失われた川の名は、【赤川】
盛岡を流れる、中津川。その中津川を挟んで、南北それぞれの地区を河南、河北と呼んでいる。そして、河北の赤川、河南の桜川と呼ばれた川が存在した。 ただし、今はそれぞれ、失われた川となっている。
『城下盛岡旧町名探求地図』なる存在を知り、その中で失われた川の存在を知った。ただ、探したところ現在は販売しておらず(在庫切れ?)、別に『水の記憶を辿る旅。』なる地図が販売している。この『水の記憶を辿る旅。』は『城下盛岡旧町名探求地図』と同じく、文化地層研究会がまとめあげたもので、赤川と桜川もしっかり載っている。それぞれ、痕跡を辿るのは難しいらしいが。
しかし、第1弾となった桜川には、失われたと思われた川筋の痕跡が、はっきりと残っている場所も存在した。今回も残っていることを期待して、調査を始めた。
赤川の大まかな川筋である。今回はこの青点線に沿って歩いてみたいと思う。
上盛岡駅付近よりスタート。地図を確認すると、ここより上流に赤川の始まりが存在するようだが、時間の制約上、ここを調査開始のスタート地点と選んだ。まず立ってみると、ここを流れていたのか?と疑問に思い付近を捜索。
仁王小学校北側脇にそれらしい跡を発見!写真を撮ろうとしたが先生、生徒たちがいたので、不審者と勘違いされ通報されても困るので隙を見てパシャ。住宅と学校を挟んで、不自然なスペースが存在する。早速、赤川の痕跡か!?と興奮するも、学校関係者に見つかれば通報されかねないので、ここはおとなしく公道から遠巻きに拝見。
それでも傍目から見れば、よそ様のお家をジロジロと見ている格好になるので、周囲の目を気にしながら川筋を確認する。赤川は仁王小学校と住宅の間を通り、公道へ流れる。ここから滝のように下って行くようだ。
この変則なT路地道路の脇に「赤川堰跡」と刻まれた小さな石碑がある。間違いなく、赤川はここを流れていたのだ!
坂の下から見上げると結構な落差を感じる事ができる。ちょっとした滝のように下り流れていたのであろう。
川筋は道路から外れ空き地のような場所へ流れて行く。こういった私有地ではないような場所が、元は川だったパターンがあるようだ。つまり、川を埋め立て、その上に公民館のような場所を設ける、というようなことだ。
先程の空き地を本町通りから覗く。丁度、堰幅ぐらいと思われる不自然なスペースが残っており、ここを流れていたと推測できる。
本町通りを渡り、これまた不自然な裏道へ流れ込む。
なんとも思わなければ単なる空いたスペースの裏道なのだが、こういった場所は元水路だった事が多い。赤川が流れていたはっきり分かる貴重な場所だ。
静かな裏道を気持ちよくしばらく赤川跡を歩くと、90度に折れ曲がる。ここで跡は消滅してしまう。ここから先は変貌しすぎた雑居ビルの群生地となるので、川筋を確認するのは難しい。
中央通りを渡り大通り裏へ流れこむ。ビル家屋が所狭しと建ち並び、すっかり跡はなくなってしまい川筋は不明。
すっかり見失ってしまったが、とりあえず映画館通りのローソン付近に出る細い裏路地を歩く。そういえば昔、ビリーズなるクラブがあったなこの路地に。田中フミヤが来たときに遊びに行ったなぁ。鳴呼、懐かしぃ。
食堂園付近。この道路がそのまま川筋になるのか?
金田一駐車場の裏。高低差がわかり崖下となることが感じられる。
金田一駐車場の石垣は堰の跡か?それとも昔々、まだお城が健在だったころ、お城をかすめるように北上川が流れていたので、そのときの堀の痕跡か?いずれにせよ、赤川もここを流れていたに違いない。
盛岡城跡公園の案内図に記載されている地図だ。これを見ると、今の大通りを北上川が流れていたことが分かる。赤い丸が金田一駐車場の崖付近。
赤川は、盛岡のメインストリートの大通りをわたりサンビル脇を抜ける。
目の前は盛岡城跡公園だ。岩手公園と言ったほうがワタシはしっくりくる。盛岡城跡公園という名は有志識者によって決められたようなもので、どうも正確名称でなくあくまでも愛称のようだが、実質的に名称のようになっている。利権がらみもあるのかね?
盛岡城跡公園の下をかすめるように流れ、ステーキわかなが建っている方向へ流れる。
先程のところから、下りながらステーキわかなへ流れてこむ感じがわかる写真。と言うことは、わかなは赤川の上に建てられた建物となるが、果たしてそうなのか?現在地A地点。
B地点。わかな裏から細い道路に、さらに岩手女子高校方面へ流れていく。
A地点とB地点を結ぶと、やはりわかなの下を通ることになる。ちなみにワタシはわかなで食べたことがない、リッチな感じがして美味しいんだろうなー。
岩手女子高校の脇。ここが正しいかわからないが、さすがに女子高敷地内に入れるはずもなく、ましては写真をバシャバシャ撮る訳にはいかず、辺りを注意しながら川筋を確認する。
岩手女子高校から中津川に流れ、終点になる。それらしい形跡は見当たらず。なんだか切ない終点だ。
大きな木が立っている、なかなかりっぱな太さだ。この木は赤川堰を見ているだろう。当時の写真が残っているならば見てみたい。終点を見たのだから始まりもみたいが、つづきは、またいつか。
<終>